モハメド・アリVSアントニオ猪木

1975年3月に、当時のボクシング世界チャンピオンだったアリは「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?相手はレスラーでも何でもいい」とジョークを言った。アリは「拳でも口でも戦う男」として有名で、当然この発言もアリ独自のリップサービスであることは世間も承知だった。しかし、これに食いついたのが日本のアントニオ猪木であった。猪木は「100万ドルに900万ドルを足して1000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックルで殴り合い。日時、場所は任せる」といった挑戦状をアリ側に送ったが、マスコミも世界のアリとプロレスラーが戦うなど実現は到底不可能と思っており、当初は冷めた反応だった。しかし、この猪木の挑戦状に反応したアリは6月9日、マレーシアでのジョー・バグナーとの防衛戦前に東京に立ち寄り、会見を開いた。会見でアリは「猪木なんてレスラーは名前すら知らなかったが相手になる。レスリングで勝負してやる」と発言、これにより半信半疑だったマスコミも一気に火がつき、新聞でも大きく取り上げられることとなった

当然戦う気のなかったアリ陣営だったが、猪木側の作戦もあり、結果戦わざるおえなくなった

ギャラの問題は、1000万ドルを譲らないアリ側と、600万ドルを提示する猪木側で折り合いがつかず、調印式当日まで揉めた。しかし最後はアリ本人が「600万ドルは飲めないが、600万ドル以上ならOKだ」と言い、結局610万ドルで双方とも合意に達した

そして1976年6月26日、日本武道館において、世紀の一戦のゴングがなった

しかしアリ側の執拗なルール要求を全て猪木側が呑んだ為、猪木はプロレス技をほとんど使えないルールになっていた

試合内容はというと、パンチを受けないように寝そべる猪木と、立って挑発するアリ
たまに繰り出すアリのパンチと猪木の太股へのキック(これがアリキック)
この状態のまま15Rが経過し、引き分け・・・・・・

翌日の新聞では「世紀の茶番劇」「世紀の凡戦」と銘打たれ、たいした記事になっていなかった・・・

しかしこれは、厳しいルールのもと両者が真剣勝負をした結果で、当時数少ない格闘技ファンを唸らせた

確かアリも猪木も、軽量では体重が98k前後だったと思う。この一戦にむけて、体をベストに絞っていた

試合後アリは太股治療で入院し、猪木はというと、この興行とアリへのファイトマネーによる膨大な借金が残った
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